コロナウイルス感染拡大による政府からの緊急事態宣言に伴い当お教室でもこの事態を受け止め、お休みしたいと思います。4月8日から5月6日までお教室でのレッスンをお休みにいたします。再開は今のところは未定です
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レッスンのお知らせ
新型コロナウィルス感染拡大に伴いレッスンを下記の期間お休みいたします。
2月28日(金)~3月9日(日)まで。
皆様、不安な日々をお過ごしかと思います。レッスン再開の際には徹底して、感染予防をしていきたいと思います。
何卒よろしくお願いします。
コンクールを受ける意味
こんにちは。辻堂元町ピアノ教室、ミュージックドルチェの田中美穂です。
新しい年が始まり、本始動のこの頃です。年間計画を立てて、今年のピアノライフをどう充実させるか。目標をどう設定するか、色々な生徒様からご質問をうけます。
中でも、今年はコンクールを受けてみたい。というご質問が多く、自分なりの受け答えをさせていただいています。
去年一年も、たくさんの生徒さんが、様々なコンクールにチャレンジしました。
私自身、コンクールは結果が大事ではないと思っています。本番までに、沢山努力し、曲と向き合い、悩み、考えて、どう成長していけるか。ということにポイントを置いています。
でも賞がいただけるとうれしいものです。私も折角受けるのだから、全身全霊で生徒さんとその曲と向き合い、最善をつくしてレッスンしています。
去年も、残念ながら予選を通過できなかった方から、通過できた方、本選までいけた方、さらに全国大会まで出場できた方、賞をいただけた方、様々でした。
が、皆さんそれぞれ努力し、細やかなテクニカル練習や音への気持ちの入れ方、コンクールを受ける為の精神的な強さなど、沢山の成長が見られたとおもいます。
今年も、賞状を頂く、盾をいただくとか、それが目標でなく、どれだけ自分が成長できるか、頑張った自分に自信がもてるかなど、新しい世界が切り開けることに意味をおいて、挑んでもらえたらと思っています。
何かに挑戦する。素晴らしいことですね!その気持ちに関われる事、本当に嬉しく思っています。
明けましておめでとうございます
辻堂元町ピアノ教室、ミュージックドルチェの田中美穂です。
新年の幕開けですね。どうぞ、今年も宜しくお願いいたします。今年はこまめにブログを更新したいな。と、思っています。
まだまだ先の話しですが、初冬には発表会も決まり(後日詳しくお知らせしますね♪)、更なる飛躍の年にしたいな。と思っております。
自宅のポストには、お年賀状がたくさん届いていました。覚えたての字で一生懸命書いてくれたもの、ピアノに対して夢や決意を書いてくれたもの、ご父兄様のコメント入りの年賀状にとても嬉しく思っております。ありがとうございます。
今年も皆様にとって、素晴らしい年になりますように、心よりお祈りしております。
発表会もおわり
辻堂元町のピアノ教室、ミュージックドルチェの田中美穂です。
先日、行われた発表会も無事終わり、とてもホッとしています。
先生、たのしかったよー。
次はこの曲をひいてみたいなー。
と、生徒たちから、嬉しいことばを貰い、大変だったけれど、やってよかったな。と思っています。
発表会をする前と後では全く違う表情の生徒たち。自信に満ちて、努力した成果をやり遂げた達成感と、なんともいえない開放感と。
皆さん素晴らしかったですね。とても気持ちのこもった演奏でした。
私も、子ども達にまけないよう、精一杯、日々勉強して頑張らねば!
新しい生活
こんにちは。辻堂のピアノ教室、ミュージックドルチェの田中美穂です。
いよいよ4月から新しい生活がスタートしますね。これを機に新しい何かにチャレンジしたくなるものです。
すでに、ピアノを習っている方は、目標を立てて、コンクールに出るのもよいでしょうし、憧れている曲にチャレンジしてみるのもよいと思います。
新しい気持ちで一つ踏み出すことで、また、新しい世界が見えてくるかもしれませんね。
ベートーヴェンの音色
ピアノ教室をしています。ミュージックドルチェの田中美穂です。
寒くなり、風邪が流行していますね。我が家の娘も疲れがたまったのか、一週間の、ダウン。やっと落ち着き、ブログ再開です。
今日はベートーヴェンについて、簡単に私なりに書いてみようと思います。
音楽室などの肖像画をみると、がっしりとした額に強そうなあご。眼光は鋭く髪の毛はあらゆる方向に逆立ち、近寄り難い雰囲気ですよね。
事実、ベートーヴェンは短気でがさつ、約束を破れば烈火のごとく怒る、そんな一面があったようです。しかし、同時に人間好きで親切なところもあり、心の中にはあたたかな愛情も持ち合わせていました。
ベートーヴェンはドイツのボンという町で生まれました。お父さんは宮廷のテノール歌手で、大酒飲み。ベートーヴェンは幼い頃からお父さんに音楽を教わりました。すぐに才能を示したので、お父さんは息子に神童という看板をつけて売り出そうとやっきになりました。
4才になると、とても厳しく音楽を教えられるようになり、日に何時間も無理やり弾かされたり、部屋に閉じ込められたりしていたので、音楽が大嫌いになるところでした。
しかし、おかあさんは違いました。いつも優しく、あたたかな幸せを感じさせてくれるただ一人の人がお母さんでした。そのお母さんはベートーヴェンが17才の時に亡くなってしまいます。
責任感の強いベートーヴェンは貧しい家庭の家計を助けるため、オルガン弾きとして、奮闘します。
21才の時にベートーヴェンは音楽の都、ウィーンに引っ越します。ピアノの演奏と作曲の腕を磨く為です。教会や宮廷に、雇われなくても作曲の注文で経済的に独立する事ができるようになりました。
しかし。。。ベートーヴェンに不幸がおこります。誰よりも鋭い感覚の耳が悪くなってきました。人と自由に会話すらできない。。。ベートーヴェンを孤独が苦しめました。だんだんときこえなくなる恐怖から沢山の有名曲が生まれました。大きな困難を乗り越え、屈せず、苦悩から歓喜へ!という人生を肯定する信念はそのまま彼の音楽となっていったのです。
ことしもあと僅か、クリスマスが終わればベートーヴェン第九番が至る所で演奏されます。今年一年生きてこれた喜びをこの曲で噛み締めたいですね。
ハノン教則本
こんにちは。辻堂でピアノ教室をしているミュージックドルチェの田中美穂です。
凍えるような寒さが続き、外にでたくないなあ。と思うことが多いですが、朝から、なるべくリズミカルな曲を聞いて、モチベーションをあげて、すごしています。
今日は、ハノン教則本について、書いてみようと思います。ピアノのレッスンで初級~中級の大体の生徒さんにハノンをやっていただいています。
幼稚園の方には、プレ・ハノン。イラストもかわいらしく、お渡しするとよろこんでくれています。
世間では、退屈な一冊。と否定的な意見もありますが、単調だから気がつくこと。問題点を直すのに調度よいかな。と思っています。
でも、ハノンが意図した練習ポイントをきちんと理解して弾かないと、効果的ではありません。
生徒さんには無駄な練習時間になってしまいますね。私が思う正しい活用法をご紹介いたします。
次のことを生徒さんには、伝えています。
①脱力は出来ているか、手首は固まっていないか。
②肩は上がっていないか
③指の重み、腕の重みを感じられるか
④ひとつひとつこ粒のおおきさは揃っているか
⑤フォルテ、ピアノ、どちらも粒をそろえられるか
⑥速く弾くことばかりでなく、粒を揃えて弾けるか
⑦少し手前にひきつけながらレガートを感じて移動できるか
⑧体幹の重心を落として弾けるか
⑨指使いをきちんと守る
⑩指の上げ下ろしを意識できるか
沢山あります。音が重く汚くなってしまわないように、まずはハノンで指ならしをしてレッスンに入ります。
生徒さんからはなんでハノンってあるのかな?と飽きてしまったのか、質問もあります。指が独立するまでは、頑張ろうね。指のお薬だと思って、きれい音、指を目指して、頑張ろう!と伝えています。
根を詰めて長時間ひくものでなく、疲れたらやめる。長いスパンで、考えて取り組みたいと思っています。
白鍵ばかりつかうので、慣れた方、ほぼ指が独立した方には、変調して、音階の勉強に使っています。
折角のピアノ。美しい音色を心がけたいですね!
バッハについて
辻堂でピアノ教室、ミュージックドルチェをしている、田中美穂です。
クリスマスが近づいて、街並みも色とりどりのライトアップをされて、とても華やかですよね。
飾られたショップには、クリスマス音楽が鳴り響き、賛美歌もながれることも。教会音楽といえば、バッハ。ヨハン・セバスチャン・バッハです。
今日はバッハについて、豆知識を書きたいと思います。
バッハはドイツの中部、アイゼナハという町で生まれました。
一族は代々続く音楽一家で、バッハはその事をとても誇りに思っていました。
お父さんも宮廷に仕える音楽家で、少年バッハはお父さんから、音楽を教えてもらっていました。
しかし、9才の時にお母さんが亡くなり、翌年にはお父さんも亡くしてしまいます。
孤児となったバッハは、14才の一番上のお兄さんに引き取られました。沢山の苦労があったに違いありませんが、オルガニストを務めるお兄さんのもとで、一生懸命音楽を学びました。
お兄さんの楽譜をこっそり見つけだし、夜中に月の光をたよりに、書き写したとも伝えられています。
大人になったバッハは、オルガニストの活動を経て音楽家の最高地位である、宮廷楽長に就任し生涯をかけて音楽への一途な愛情を育てていきました。
「バッハ」は「小川」という意味ですが、「小川でなくて大海である」とベートーヴェンはいっています。バッハの存在は音楽の歴史に大きな影響をあたえたのです。
ピアノの詩人 ショパン
辻堂でピアノ講師をしている、ミュージックドルチェの田中美穂です。
皆さん、好きな作曲家は誰ですか?
私は、ショパンです。年齢と共に、ドビュッシー→ブラームス→リストなど変化していますが、ショパンは幼い頃から今までずっと好きです。
今日は、ショパンについて、どのような作曲家だったのか、書いてみたいと思います。
すらりと痩せていて、髪はうつくしく、滑らかな絹のよう。青と灰色の目は知性的な光を放ち、お洒落で、立ち振る舞いは上品で静か。
ピアノの詩人と呼ばれ、生涯をピアノに捧げたショパン。
ポーランドの村に生まれ、幼い頃から音楽の才能を発揮し、7才時にはピアノ協奏曲を弾いてデビュー。モーツァルトの再来と言われたショパンは、幼くして、社交界の人気者に。
21才の時にパリに渡り、デビュー演奏会では、多くのファンを獲得し、成功を収めます。しかし彼は、多くの聴衆の前での演奏を好まず、サロンコンサートを好み、貴族の子供にピアノを教えることを好む。
このサロンで、運命の恋人、ジョルジュ・サンドと出会います。サンドは6才上のシングルマザーで小説家でした。
サンドと過ごした期間がショパンが旺盛に作曲できた時期となります。病気がちなショパンはサンドに献身的に看病してもらうのでした。
当時のショパンは叩くように弾くのを嫌い、柔らかく演奏することを、求めていたようです。
代表曲 別れの曲、小犬のワルツ、英雄ポロネーズ、革命のエチュード、etc.
気分によって、色々な作曲家の生い立ちやエピソードを書いてみたいと思います。
お楽しみに(^_^;)